「あ~~~、らくちんらくちん♪♪ な~~~んもせんでも、日本人が勝手にやって来て、勝手に戦ってくれて、勝手に独立させてくれて、でも自分でやるんは、めんどくさいから~~~、な~~~~んもせんかったら、勝手にいろいろ建てて、教えてくれて、勝手に発展させてくれたんやで~~~♪♪ こ~~~んな楽なことはないわ~~~♪♪
これからも日本に「たかる」んが一番やろ~~~♪♪日本人ってアホちゃうか~~~♪♪」
日本が朝鮮半島でしてきたこと・・・・
(;^ω^)まだまだまだありますよ~~~!!!
⑤【海岸整備・電気事業】
朝鮮半島は、長らく中国以外の国とは国交も貿易も行わなかったので、大きな港がありませんでした。
日本(総督府)は朝鮮発展のため、防波堤を張り巡らせ、多くの港を作りました。
また、日本(総督府)は、それまで電気が通っていなかった朝鮮の村々に電気を行き渡らせました。発電所から電気を送る送電線をめぐらせ、各地に変電所を設けました。
(゚Д゚;)この莫大な費用も日本人が出しているんですよ!
⑥【農業改革】
併合時の朝鮮半島には、人の手が入っていない荒地が数多くありました。
満州へ行くために朝鮮半島を通った日本の第二師団の兵隊たちは、耕せば農地になる土地が荒れ果てたままになっているのを見て呆れたといいます。
日本(総督府)はそれらの荒地に目をつけ、土地を開墾(かいこん)し、新たに水田や畑にしました。
今まで水は雨水頼りだったのを、貯水池やため池をいくつも作り、土地改良をし、冷害に強い品種のコメを導入しました。
興南(フンナム)に世界一の窒素肥料工場を建て、そこで作った肥料をふんだんに使って食物を育てました。農業の効率を高めるために畜産も奨励(しょうれい)しました。
そして、これらを永続させるために、農業学校を数多く建て、朝鮮の若者に農業を教え込みます。日本から連れてきた多くの農学者に指導してもらいました。
(゚Д゚;) 日本の徹底ぶりは恐ろしい・・・・。
農業効率が上がり、耕地面積が倍になると、穀物や野菜の収穫量が増え・・・
その結果、人口爆発が起こりました!
人口約1,300万人だったのが、わずか30年足らずで、約二倍の2,550万人にまで膨れ上がってしまいました。
それだけでなく、併合時の平均寿命が24歳だったのが、30年で42歳まで伸びました。
⑦【工業化】
日本(総督府)は、農業生産を倍にしましたが、工業生産をそれ以上に伸ばしました。
併合翌年の1911年~1938年まで、朝鮮の経済成長率は 平均3.8%で、これだけ長い期間の高成長は世界でも例がありません。
高い経済成長率が27年続き、国民所得が増え、朝鮮半島に日本企業170もの大工場が稼働し、100万人を超える雇用が生まれました。
併合前は、年間予算1,700万円ほどしかない朝鮮に対して、日本政府の投資は毎年3,000万円近くの巨額を投じました。
本来は東北のために使われる予算の多くを朝鮮に回したために、東北が飢饉(ききん)に見舞われた時、多くの娘が身売りされたそうです。
では、なぜ日本はそれほどまでに朝鮮の工業化に力を入れたのでしょう?
それは・・・・・
朝鮮半島がロシアや中国にのみ込まれたら、日本の安全保障が脅かされるからです。
そのために、日本は、朝鮮が近代化に成功して、強い国になってもらいたいという願いがありました。
そしてロシアや欧米列強の進出を抑えるための防波堤になってもらいたいと考えていたのです。
(゚д゚)!なるほどね~~~。
今と違って、昔の日本は自分の国を守るために必死だったんだ!!
(;´Д`)それと比べて、戦後の日本と言えば・・・情けない・・・。
日本を守るために憲法を変えようとすると、批判の嵐・・・・。
「憲法変えたら戦争になる!」
と声高らかに言っている国会議員は、自身のルーツが中国や韓国、北朝鮮にあると言われています。それゆえに、日本のためになる事は反対なのです。
今一度、耳障りのいい事だけを言っている人を信じるのではなく、自分で調べて、日本のためになる事を考えましょう!
【七奪しちだつ】
韓国人は10代の頃から、日本が【七つのものを奪った】ということを徹底して学びます。そして韓国が今も国力において日本に劣っているのはそのせいであると教えられます。
【七奪】とは
「主権」「国王」「国語」「人命」「生命」「土地」「資源」の七つです。
(-。-)y-゜゜゜それでは、一つずつ検証していきましょう。
①【七奪】のうちの「主権」について
日本はもともと朝鮮を併合するつもりはありませんでした。
李氏朝鮮は中国の属国であり、主権国家でなかったのですが、当時は欧米列強による「弱肉強食」の世界でした。
アジアでは次々と植民地にされていく中で、中国と日本だけが侵略を免れ(まぬがれ)独立国家としてヨーロッパに対抗していました。
しかしながら日本にとって朝鮮半島は、大陸から突き付けられたナイフののうなもので、もしここをどこかの強国に奪われたら国防上の大きな危機です。
そのために日本は朝鮮を中国の属国から独立させ、日本のように富国強兵国家にしようと考えました。
1895年日本は朝鮮を独立させるために、清と戦って勝利します。(日清戦争)
そして、独立主権国家「大韓帝国」と名乗り、清から解放されたのです。
この時、大韓帝国は屈辱の象徴であった「迎恩門」を壊して、代わりに「独立門」を建てました。
(≧◇≦) しか~し!!なぜか現代の韓国では、これを日本からの独立を記念して建てられたと思っている人が少なくないということです・・・。はあ~~・・・。
ところで、大韓帝国はせっかく独立を果たしたものの、近代化や工業化は遅々(ちち)として進まず、経済政策の失敗などで、逆に国が混乱するばかりでした。
さらに日本にとって困ったことに、大韓帝国がロシアに接近したのです。
(;´Д`)千年以上もどこかの勢力に迎合(げいごう)して保身を続けていた民族にとって、独立は難しかったのか、ロシアに頼ろうかな~って感じだったのでしょうか。
ロシアも当時は日本よりも、はるかに巨大な国でした。
ロシアにとっても願ってもないことで、じわじわ朝鮮半島に勢力を伸ばしました。
朝鮮半島がロシアの支配下におかれれば、日本の安全保障にとっては極めて危険な状況になります。
そして、ついにロシアと日本が戦争になりました。
これが日露戦争です。日露戦争は欧米各国の予想をくつがえして、日本の勝利に終わりました。
そして1905年日本は諸外国の承認を得て、大韓帝国を保護国にします。
日本はあくまで大韓帝国を独立国として日本の防波堤にするつもりでした。しかし、近代化がまるで進まないどうしようもない朝鮮をみて、次第に(しだいに)併合論が高まりました。
1909年、併合に反対していた初代統監の伊藤博文が朝鮮人テロリストに暗殺されて、一気に併合へと舵(かじ)が切られました。
(-。-)y-゜゜゜今となっては、朝鮮と関わらない方が随分(ずいぶん)平和だったかもしれませんね・・・。併合に反対していた伊藤博文が正しかったのではないだろうか・・・。
朝鮮人の中にも併合を歓迎する機運が高まっていました。
そして1910年、両国政府の合意のもと、日本は大韓帝国を併合したのです。
これは、武力を伴ったものではありません。朝鮮政府も望んだものです。どんな政策にも反対派はいます。しかし、併合は朝鮮政府が望んだのです。
つまり、朝鮮は自ら(みずから)【主権】を放棄したとも言えます。
ちなみにこのとき、欧米列強の国々からはどこも反対の声は上がりませんでした。むしろ好意的に承認したのです。
日韓併合はどこから見ても国際的に合法だったのです。
もし、日本が朝鮮を併合していなければ、おそらく朝鮮はロシアの植民地になっていたでしょう。
日本が朝鮮半島にしたのは、
朝鮮史上初めて主権を与え、後に朝鮮人の意志で併合を望み、「自ら主権を放棄」したのです。
したがって、現代の韓国人が主張する「主権を奪った」というのは、まったく当てはまりません。
(-。-)y-゜゜゜相変わらず、自分たちの都合のいいように歴史をねじ曲げてますね~。
【次回へつづく】
(`・ω・´)ゞしばしばまるも
《参考文献・・・今こそ、韓国に謝ろう 著者 百田尚樹》⇦皮肉たっぷり
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