しばしばまるものシュールな写真で一言!

親になり自分次第で子供を《賢者》にも《愚者》にもしてしまう重要任務を遂行する皆さん!少しでも子育てに『笑い』と『希望』と『愛国心』を!!カテゴリ『これだけは子供に伝えたい』『世の中のここが変だよ!』をぜひ見てください!

71$ 習近平は《権力乗り》サーファーだった

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と~ちゃ~ん。この中に台湾入ってないよ~。香港食べちゃったから、次は台湾食べたいな~♬

 

 

(-。-)y-゜゜゜毎日こんなこと考えているのでしょうか。わたしが母親なら往復ビンタで張り倒して、世界中の人たちに土下座させて回りますね。

 

 

中国政府は、新型コロナウイルスを発生させ、情報隠蔽したせいで世界中が大変なことになっている今日。

 

 

(-。-)y-゜゜゜被害者である世界中の人々に対し、おわびの一言もなく、自分たちの責任を一切認めようとせず、それどころか新型コロナウイルスアメリカ発生源説までぶち上げる始末。

 

人民は人民で、金のためなら何でもする。儲かればどんな卑怯な手だって使う。

実際に日本では、多くの中国人によってマスクが買い占められた

マスク不足にさせ値段を吊り上げて金を儲ける。

誰が困ろうと知ったこっちゃない。自分さえ良ければいいのだ。

 

台湾は中国人のこういう卑しい(いやしい)人間性を熟知しているので、真っ先にマスクを確保していたという。

 

それに引き換え、日本の政府、地方の首長は、真っ先に中国に大量のマスクと防護服を送っていた・・・日本人の備蓄品を・・・。

 

"(-""-)" ほんと・・・お人よしで済まないんですよ?単なる《おバカ》なんですよ?自分で気づいていますか?

 

また、『国防動員法』により、中国政府から世界各国に住む中国人に呼びかけ、あらゆる破壊行動を起こすことが可能なのである。

 

2018年の『在日中国人』の人数は、約 81万人。2018年の中国人旅行者は約 838万人で、合わせて年間約 919万人の中国人が日本での破壊行動や軍事活動を開始する要員となるのだ。

 

このように中国は、誰から見ても尋常ではない頭おかしい集団であり、あまりにも横暴で理不尽な国である。

 

( `ー´)ノ これからは、普通の日本人にとっても中国という国に対し無関心ではいけない!

 

中国には有名なことわざ《孫子の兵法》がある。

意味は、《彼を知り己を知れば百戦あやうからず》と。

 

つまり《相手との駆け引きや戦いに敗れないためには、まず相手を知ることが肝心だ》という教えである。

 

中国のことを理解するためには、まず、現在の中国を動かしている独裁者・習近平のことを知らなければならない。

 

政治・外交・軍事の全権力を握り、中国に君臨している彼の一挙手一投足、意思決定により中国国民の生活と運命、そして日本人の安全保障と生活にも大きく関わってくるのである。

 

この習近平という一人の人間の指示で情報隠蔽され、世界的な大惨劇を引き起こした。

 

習近平はなぜ中国のトップに立つことができたのか?

 

生い立ちと青春時代の心境の変化から彼の人格形成を考察し、権力者としての彼の恐ろしい内面をひも解いてみる。

 

 


漫画でわかった! 習近平と中国

 

 

習近平と中国】石平(せきへい)著より引用 ↓↓↓

 

 

習近平氏は中国共産党高級幹部の子弟として子供時代を過ごしてきたが、父親の失脚によって、どん底に落ちる。

中学2年生に進級する前に、北京から遠く離れた農村・梁家河村(りょうかがそん)下放(かほう)され、村では一人で窯洞(やおとん)に住んでいた。

 

下放→追放と同じ意味  

※窯洞→黄土を掘って作った横穴式住居

 

村人から軽蔑(けいべつ)・いじめ・飢餓・ノミやシラミに苦しめられる。

苦境に耐えられず、村から逃げたが、北京にも居場所がなかった。

 

自分と家族が上流階級にいたのも地獄に落ちたのも権力のせいだ。世の中は権力がすべてだ

そして、どんな手段を使っても権力の頂点に上り詰めることを誓った。

 

 村に戻った習近平は、その日から村人との接し方を徹底的に変えた

人々からの蔑み(さげすみ)の視線をいっさい気にせず、腰を低くしていつもニコニコと村人に愛嬌を振りまいた

 

 村の方言を習ってしゃべるようにし、村人に北京の話や三国志の小説を講釈(こうしゃく)するようになり、人気者になっていった。

 

そしてこの村の生活が4年目に入った1972年に、習近平人生に大きな転機が訪れた。

 

父・習仲勲(しゅうちゅんくん)毛沢東によって粛清(しゅくせい)され、牢獄に入ったままだったが、共産党内で毛沢東と並ぶもう一人の実力者の周恩来(しゅうおんらい)総理の計らいで牢獄から出てきたのだ。

これは、習近平の父が周恩来に長らく仕えていたからだった。

 

同じくして習近平周恩来総理の手配によって、北京に呼び出され父との再会を果たした。

 

 村に帰ると、村人や共産党幹部の態度が一変したのだ。

村人は近平に頭を下げて媚びるようになり、幹部たちは近平を特別な存在として丁寧に扱うようになった。

 

周総理に一度呼び出しを受けただけで、境遇が激変したのだった。

 

(-。-)y-゜゜゜この出来事がきっかけで、習近平はますます権力の魔力に取りつかれて行ったのだった・・・。

 

その時から、習近平の人生は順風満帆に進んでいく。

 

20歳で村の最高権力者となり、そのあとすぐに北京の名門大学清華大学』に進学する。大学には、試験で合格したわけではなく、各地方の共産党組織の推薦で簡単に入れた。結局、習近平のバックにいる周総理への忖度(そんたく)の結果、名門大学に入学することができたのだった。

 

こんな風に中学校も卒業していない身でありながら名門の大学へ進学できたのは、自分の実力ではなく、親の七光りのおかげであった。

 

 そして、大学を卒業した後も、何の苦労もなく、庶民の子弟では到底望めない良い就職口にありつけた。

 

 村で生きて行くために自分の才覚(さいかく)を頼りにして、最初の数年間は村の人々の信頼を勝ち取っていたが、その後、彼の背後には常に守り神となる権力者がいた。

 

父親が政界復帰をする前には周恩来という正真正銘の大権力者の威光(いこう)習近平を大いに助けた。

 

父親の習仲勲が権力者として復帰した後は、習近平は一貫して父親の敷いたレールの上を走り、父親の計らいで権力の階段を一つ一つ上っていった。

 

その間、彼が自主性を発揮して自らの道を切り開いたこともなければ、自分の人徳を高めて才能を磨いた痕跡もない。

 

父親とその親世代の権力者による庇護(ひご)さえあれば、自分から何をしなくても習近平は上に這い上がるようなことが簡単にできた。

そのような出来事が《権力こそが万能である》と若き習近平に教え、権力への彼の執念(しゅうねん)をより一層深めたのだ。

 

しかし、地方勤務の17年間、彼は福州市の最高権力者、あるいは福建省の行政の長として何かの実績を残したのかといえば、ほとんど何もない

 

地方幹部としての実績があまりにも乏しかったせいか、そのころの習近平共産党内における評判は芳しく(かんばしく)なかった

 

それを端的に示した一つの実例が1997年に開かれた第15回共産党大会で行われた中国共産党中央委員と中央候補委員の選挙だ。

 

(-。-)y-゜゜゜野球で言うと、一軍と二軍を決めるってことですね。

 

その当選順位がなんと!《二軍の一番下》だったのだ!

 

 

(*´Д`) 本当は落選していたけど、父親のメンツがあるので名簿の最後に習近平の名前を加えたらしい・・・。

 

 

この一件から当時の習近平の評判は非常に良くなかったことがわかる。

 

でも、なぜ、かろうじて中央候補委員になっただけの、うだつの上がらない地方幹部が15年後に中国共産党最高指導者として君臨するこのとになったのか?

 

 

(-。-)y-゜゜゜ めっちゃ簡単に説明すると、のちに中央の権力者となる多くの人間に気に入られたからですね・・・。ヘラヘラ一生懸命に媚びを売っていたのでしょう。

 

 

まとめ

 

結局のところ、最高指導者になるまでの習近平の出世と台頭(たいとう)は、彼自身に素晴らしい才能や輝いた実績があったからではなかった。

 

平凡さが彼という人間の第一の特質だ。それでも彼が中国の権力の頂点に上り詰めたのはいったいなぜなのか?

 

権力の階段を上っていった最初の段階で、彼の出世を助けたのは父親の習仲勲で、父親の敷いたレールの上をただひたすら走っていたのだ。

 

父親の計らいで軍事委員会高官の秘書となって政界への第一歩を踏み出し、父親のおかげで福建省へ赴き(おもむき)、父親のコネで厦門(アモイ)市長という人生で初めての官職を手に入れた。

 

ここまでの彼は自主性を発揮して努力したわけでもなければ、そうする必要もない。

父親の七光りさえあれば、欲しいものはおのずと手に入ってきたのである。

 

福建省勤務の17年間、習近平にとって最大の収穫は、買慶林(かけいりん)という権力者に取り入ることに成功したことだった。

 

福建省のボスである買慶林が彼の後見人(こうけんにん)となってくれたからこそ、習近平は省の中で昇進を重ねることができた。

 

そして、この買慶林をとおして、中国最大の権力者である江沢民(こうたくみん)主席ともつながった

いつの間にか彼は、党内最大派閥の江沢民派に名を連ねていたのだ。

 

 

そして最終的には、習近平自身が知らないところで展開された共産党上層部の権力闘争の結果として、江沢民派と胡錦涛(こきんとう)派という二大派閥の争いと妥協の結果として、胡錦涛後継者となることが決まり、最高権力者のポストを約束されたのだ。

 

 

それは習近平にとってはまさに『棚からぼたもち』であった。

中国という大国の最高権力がいとも簡単に、平凡な人間の手に転がってきたのだ。

 

 

こうしてみると、習近平という人間は良き父親に恵まれていただけでなく、並外れた幸運にも恵まれていた。最高指導者になるまでの彼の躍進(やくしん)と台頭(たいとう)を助けたのは結局、親の七光りと、江沢民派の力と彼自身の幸運なのである。

 

本人の幸運以外に、習近平の出世物語のキーワードは、一言でいえば、《権力》である。

 

 

彼の父親が権力者の一人だったからこそ、政治の道の節目節目で彼が出世するのを助けることができた。

 

そして、彼が『兄貴』として慕った曽慶紅(そうけいこう)と、長年、上司として仕えて可愛がってくれた買慶林(かけいりん)、うまく取り入った賀国強(がこくきょう)張徳江(ちょうとくこう)は、みなが揃いもそろって中央の権力者となり、そして江沢民派の大幹部として権勢を振るっていた。

 

だからこそ、習近平は最高権力者への決定的な一歩を踏み出すことができた。

 

こうして見ると、現在の習近平という中国最大の権力者を生み出したのは、やはり政治権力そのものであった。

 

さまざまな権力が相互作用した結果、習近平という平凡な人間が中国という国の政治権力の頂点に立ったのだ。

 

習近平自身が16歳の時に悟ったように、中国では権力にはすべてを決める魔法的な力があり、サーファーが波乗りするように、うまく権力の上に乗り続けるのが成功への一番の近道なのだ。

 

決して政治家として素晴らしい仕事をすることではない。

 

 

習近平に何らかの才能があるとすれば、権力者の懐(ふところ)に飛び込むことが人並み外れてうまいことだった。

 

この才能を身につけた原点は、やはり梁家河村にあった。生きて行くために村の人々に受け入れてもらわなければならなかった。習近平青年は、渾身の力で村人たちの機嫌を取り、好かれるように努力した。

 

 

その副産物として、人に気に入られる才覚が習近平のなかで開花し、彼の持ち前の強みとなった。

 

大物権力者に可愛がってもらい、出世のチャンスをつかみ、挙句の果てに中国の最高指導者の椅子まで手に入れることができたのだ。

 

(-。-)y-゜゜゜しかし、このような人間がいったん最高権力者となれば必ず豹変するのである。

 

 

それまでに多くの人々に頭を下げて機嫌取りをしてきた人間こそ、人の上に立った途端に傲慢尊大(ごうまんそんだい)になってしまう。

 

また、多くの人々に媚びを売ってきた人間こそ、権力者になると他人に媚びてもらわないと満足しない

 

 

(-。-)y-゜゜゜ということは、習近平国賓で呼ばない方法は、習近平の悪口を言いまくるのがいいですね。国民に歓迎されていないと分かったら、へそを曲げて日本に来なくなるでしょう。

 

ていうか、まだ習近平が日本に来る気マンマンの時点で、まったく空気が読めないイタイ人間だとバレバレですが・・・。

 

 それにしても、習近平を招きたい二階幹事長は、自分の死んだ後の日本に責任を持てるんですか?

 

これから生きて行く子供の未来を考えていますか?

 

大量虐殺していて、大ぼら吹きで、世界中で強盗していて、これから日本の領土を盗もうとしている人間をなぜ日本に呼ぶのですか?

 

なぜ、老人の暴走を誰も止められないのですか?

国会議員って、結局、自分の生活が一番なのですか?

 

 

 


漫画でわかった! 習近平と中国

 

(# ゚Д゚)しばしばまるも

 

 

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